ちょっと色々考えてみた
どうも。最近いろんなことに切羽詰ってます><
水曜日は、サークルの試合の応援に行ってきました。
この大会で、三回生は一応引退とゆーか、代替わり。
自分たちで企画・運営したということもあって、
特に男の子は、この大会のために、かなり頑張って練習してたみたい。
20、21日の9時~21時。まるまる2日間を費やして、
大学内のサークル6チームが集まって行われた今回の大会。
バイト(と卒論)のため、2日目の最後の男子決勝しか見にいけなかったけど、
体育館の何十メートルも手前から聞こえてくる歓声に、一瞬たじろいだのを覚えてます。
で、中入ったら人がいっぱいいて、どこに自分のサークルの子らがいるんか最初わからんかった。
小さな体育館内で、きょろきょろして迷いながら、やっとRえたちに遭遇☆
しかし練習行ってなさすぎて、当たり前やけど一回生の顔が全然わからんくて、
なんだか少し淋しい気持ちになったり…
試合が始った。
決勝は、うちのサークル・ア〇ロ VS ス〇イ。
試合も応援もかなり白熱してた。
うちはバスケのことはわからないけど(え、バスケサークルなのに!?)、
すごい試合なんやなってのはわかった。
だって、軽く十回は読み返した、うちの愛読書=人生のバイブル的存在、
スラムダンク
のような試合展開だと思ったから。
一点取られては取り返し、突き放しては追いつかれ…
最後の最後までどうなるかわからんくて、結局、同点のまま延長戦へ。
結果は負けてしまって、みんなすごい悔しくて、応援してた三回生の女の子たちみんな泣いてた。
この日、久々に来てたまたまこんなすごい試合見たうちには、悔しくて泣くぐらいの感情はなかったけど、
ほんまにみんな一生懸命頑張ってきてんなてゆーことは、めっちゃ伝わってきた。
その後、代替わり飲み会に参加。
四回生の女の子はうちとRえだけで、かなりアウェイな状況ではあったけど、
後輩の子らが気遣って隣に座ってくれたり話しに来てくれたりしたから、ほんま楽しめた☆
常に一気コールかかってたし、異様なテンションやったけど、
久々に若い子らと絡めて、かなり満足☆☆
飲み会の最後のほうになると、それまで涙をみせなかった、三回生キャプテンのYうすけが泣き出し、
連鎖反応みたいに、三回生と二回生が号泣しだした。
試合に負けた悔しさ
代替わりの淋しさ
お酒の力
もらい泣き
みんなの涙の理由は色々やと思うけど、泣けるぐらいの熱い感情がそこにあったてことに
なんか感動してしまった。
正直、今回の大会には賛否両論あったと思うし、なんでサークルやのに、
そこまでせなあかんのって思ってた子もいたと思う。
うちも、この大会の話を最初に聞いたときは、
たぶん初心者の子はつまらんやろなーって思った。
けど、久々に行ってみて、それを超える何かがサークル内で生まれてたのかなって思った。
サークルに対する考え方は人それぞれやし、どれが正解でどれが不正解ってこともない。
だからこそ対立もするし、いろんな葛藤も起こる。
いろんな人がいて、いろんな感情があって、それがなかなかうまいことまとまらないんやけど、
まとまらないままで、お互い認め合って尊重しあって、
どこかで全員が繋がってられたら、それが一番理想なんかも。。とか、いろいろ考えてみた。
そこから発展して考えたことが、先入観って恐いなってこと。
うちらは、他人の何をどれだけ理解して、いろんなこと判断してるんやろうか。
その人の言葉や行動の表面的な部分だけで、
「この人はこーゆー人」とか、「こーゆー風に考えてこうしたに違いない」とか、
知らず知らずのうちに、勝手に決め付けて、平気な顔してる。
集団のなかで、他人と意見が違って、でもいつでも自分の意見が正しいと思ってて、周りの気持ちを考えようとしてないって、みんなから思われてる人。
本当にそうなのかな。
彼の中には、確かに確固とした自分の意見があって、一本の芯が通ってるようなんだけど、
少し誤解を招きやすいような言葉を使ったりするんだけど、
でも、彼の書く文章には、自分を客観的に見て、自分の弱い部分を必死で受けとめようとするような
印象をたまに受ける。
うちは、何かと誤解されやすい人ほど、純粋でまっすぐなのかもなって思う。
だから、他の人より傷つくことも多いんだろうけど、その分誰より向上していける可能性を秘めてるのかもしれない。
まあ、このこと自体がレッテルやと思うし、実はそんなこともないかもしれん。
でも、そうかもしれないってゆー可能性もぬぐえない。
”ある面だけを見て他人を判断するのはいけないこと”
そんなこと百も承知だけど、それでもやっぱり一度貼ってしまった他人へのレッテルをはがすことは、
想像以上に難しい。
うちは、わからないことほど恐いことはないと思うから、どうしても、何とかわかろうとして、
色んなレッテルをあらゆる人・物に貼って生活してる。
そのほうが楽だし、傷つくことも少ないから。
だけど、それを当たり前のように思ってこれからも生活していくことは、実は、何もわからないより恐いことかもしれないって最近思う。
一度貼ってしまったレッテルをなかなかはがせないことが自分でわかってるなら、せめてそのことをしっかり理解しておこうと思った。
自分のこともよくわかってないのに他人を理解することなんて不可能だろうけど、
「わからないからしょうがない」とか、「別にわかりたくない」とは思わない。思いたくない。
自分に関わるいろんな人の中にある「醜さ」とか「どろどろした感情」を受けとめたうえで、その中になおあるんではないかと思われる、「まっすぐさ」とか「傷つきやすさ」、「美しさ」みたいなものを、一人に一つでも発見してゆける人になりたいと思う。
少なくともそ-ゆーアンテナを張っていたい。
うーん、なんだか言葉にしてみると、全部ウソのような…なんか実際に思ってることとは違うような感じがするんやけど…
うん、なんか今日はちょっと物思いにふけって色々書いてみたけど、
ここに書いたことがうちの思ってるすべてじゃないし、全く矛盾したことを考えてる自分も確かに存在するのです。
そう考えると言葉って恐いし不便やな~。
なんか、これ以上書くと、ドツボにはまってしまう気がするので、今日はこのへんで。。
てか、卒論マジやばいかもね…;;